日本語と中国語の成語・ことわざの比較解説
中国語を勉強していると"对牛弹琴" [duì niú tán qín]という成語を見かけることがあります。
これは直訳すると「牛に向かって琴を弾く」、つまり「牛に対して琴を弾いても理解できない」という意味ですが、日本にも次のような似たような表現があります。
- 馬の耳に念仏
- 馬耳東風
- 右の耳から左の耳
- 猫に小判
- 豚に真珠
この記事では、これらをはじめとした表現との違いを、日本語と中国語の感覚の共通点と違いを対比させながら、解説していきます。
この記事の最後には、図解によるまとめを掲載しています。
気になる内容にすぐに移動
「対牛弾琴」の由来
中国語で見かける
对牛弹琴 [duì niú tán qín]
という言葉は、「韓非」による「韓非子・外儲説左上」という政論散文集で描かれた表現です。
この散文では「公明儀という琴の名手が、耳を高く立てている牛に琴を弾いたが牛は全く反応せず、ただ草を食べていた。」という表現があり、これが「対牛弾琴」の由来となります。
これと同じような表現で、中国語では
高耳牛 [gāo ěr niú]
「韓非子・外儲説左上」に登場する「耳を高く立てている牛」を指す言葉です。
充耳不闻 [chōng ěr bù wén]
「耳に入っても聞いていない」という意味の成語で、「理解する気がない」「取り合わない態度」を表す言葉です。
日本にはこのような「聞いても有難みがわからない」という意味で「馬の耳に念仏」ということわざがあります。
また、日本でも広く知られている「馬耳東風」という表現は、中国語に由来する「聞き流す」「取り合わない態度」を表す成語です。
「馬耳東風」(ばじとうふう)の由来
「馬耳東風」の由来は、唐時代の「李白」による「答王十二寒夜独酌有懐」の記述からです。
中国語
- 李白 [lǐ bái]
- 答王十二寒夜独酌有怀 [dá wáng shí èr hán yè dú zhuó yǒu huái]
この詩の中で、李白が寒い冬に酒を飲みながら、友人の王十二に「自分の提示する価値観、文学の尊さが理解されない」ことを訴えている場面に「馬耳東風」が登場します。(言ってみれば酒を飲みながら友人に愚痴っていることだけなのに、ここまで後世に残るのはすごいことですね!)
この中で、李白は「世間の人はこれもそっぽを向いている。東風が馬を射るようなものだ。」と表現しています。
中国語
- 世人闻此皆掉头, [shì rén wén cǐ jiē diào tóu]
有如东风射马耳。 [yǒu rú dōng fēng shè mǎ ěr]
この表現が中国語では"有如东风射马耳"として残り、日本では「馬耳東風」という四字熟語として知られています。
先述の「対牛弾琴」は「聞いても有難みが理解できない」という意味でしたね。
それに対して「馬耳東風」は「言われても聞き流している」という状態を指します。
由来を知ると、この違いがよりはっきり見えてきます。
「馬耳東風」(ばじとうふう)の関連表現
「聞き流す」といえば日本語の俗語で
右の耳から左の耳
という表現があります。
「聞いたことを片っ端から忘れてしまう」ことのたとえですが、その逆の「左の耳から右の耳」とは言いません。
これと同じような表現が中国語にもあり
左耳进右耳出 [zuǒ ěr jìn yòu ěr chū]
といいます。
お気づきかもしれませんが、中国語では「左から右」で日本語と逆です。
なぜ逆なのかまでは不明ですが、「頭の中に残らず、反対から出て行ってしまう」という点は同じなのがおもしろいところです。
さて、さらに似たたとえとして、「猫に小判」についても見ていきましょう。
「猫に小判」の由来

「猫に小判」をはじめとした現代のことわざは、江戸時代中期の歌舞伎役者に対する芸評の書のひとつ、貞享四年(1687年)刊の「野郎立役舞台大鏡」にも見られます。
その後、「いろはかるた」にも採用され、広く知れ渡るようになりました。
「猫に小判を与えても、その小判の価値は分からない」という意味で、「物の価値」に焦点が当てられています。
「豚に真珠」の由来
「猫に小判」と聞くと「豚に真珠」ということわざを連想するかもしれません。
この「豚に真珠」は、新約聖書の言葉に由来する表現です。
「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。」
新約聖書 マタイによる福音書 7章6節
ただ、この個所の本来の意味は、前後の文脈を見ると分かるのですが、簡単にいうと「人は誰しも完全ではないのだから、そのことを棚に上げて他人を裁こうとしないように」という教えです。
日本語では、これが「猫に小判」のたとえのように、意味が独り歩きして使われています。
「猫に小判」に近い中国語
このような「猫に小判」に最も近い中国語は
不识货 [bù shí huò]
という ことわざ("谚语" [yàn yǔ])です。
この言葉の由来は
人不识货钱识货 [rén bù shí huò qián shí huò]
「人は品物の価値を見抜けなくても、お金は価値を見抜く」というのが本来の中国民間に伝わることわざです。
これは「消費者が商品の鑑別能力が不足していても、価格の違いを通じて商品の品質を判断する」という社会現象を表しています。
ここから転じて"不识货"(日本の漢字で「不識貨」)として使われるのですが、中国語の場合は「猫」や「豚」といった比喩表現とは異なっています。
まとめの図解
最後にまとめとして、関係図を掲載します。
日本語は青枠で、中国語は赤枠で表していて、実線は意味の強い結びつき、破線は意味の近い結びつきを表しています。

このように、似ているようでも微妙に意味が違っている表現は、とてもおもしろいと思います。
また、中国語と比較してみてみると、その由来も鮮明になってきますし、共通点や違いが発見できるのはとても興味深いところです。






今回もお読みくださり、ありがとうございました。
役に立った・気に入ったらSNSやブログで共有していただけると嬉しいです!






