西暦紀元後・紀元前の英語の略号
西暦の紀元後を表す略号は"AD"で、紀元前を表す略号は"BC"ということはよく知られていますが、その意味や由来は意外に知られていません。
また、同じく略号で西暦の紀元後を"CE"、紀元前を"BCE"と表記する場合があります。これは先の"AD"と"BC"と同じ期間を指すのですが、見慣れない表現かもしれません。
今回は、このAD・BCとCE・BCEの意味と由来について見ていきましょう。
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AD・BCの意味
ADはラテン語でBCは英語
私たちが普段「西暦20○○年」といった表現をする場合、これは紀元後20○○年を意味していて、英語で"AD"と表記しますが、これはラテン語の"Anno Domini"の略です。
この"Anno Domini"は英語で"Year of Our Lord"を意味するもので、日本語に訳すと「私たちの主の年」という意味です。
AD (Anno Domini)
Year of Our Lord
一方、その前の紀元前は英語で"BC"と表記し、"Before Christ"という英語の略です。
この"Before Christ"は、日本語で「キリスト以前」という意味になります。
「以前」という表現なので、古いほど数字が大きくなります。
BC (Before Christ)
英語の略語では頭文字ごとにピリオド(.)が付けられるのが通例ですが、この"AD"と"BC"についてはピリオド無しで問題なく、米国式英語では"A.C."と"B.C."というようにピリオドをつけるのが一般的です。
AD・BCの区分の由来
この紀元前後を分けたのはキリスト以前かそれ以後で、キリストはイエス・キリストを意味しています。
実は、この区分が作られたのは西暦525年といわれています。
当時のキリスト教の修道士であったディオニュシウス・エクシグス (Dionysius Exiguus)が、各地の地方教会で標準化できる年代系統として提唱したのがはじまりで、その背景にはローマ帝国の支配下にあった国々はローマ帝国の皇帝による年代系統の下にあったこと、ローマ皇帝によるキリスト教徒への迫害があったといわれています。
つまり、イエス・キリストが誕生してから500年程の期間を経て作られたということになります。
イエス・キリストの生まれた年
とはいうものの、この区分とされたイエス・キリストの誕生は、実際には正確ではないことが現代の研究によって明かされています。
実際のイエス・キリストの誕生年は、聖書の記述と歴史背景から紀元前6年~紀元前3年の間と見るのが通例となっています。処刑によってその三十数歳といわれる生涯を終えるまでには確かにこの節目を超えていますが、実際には誤差が生じているといえます。
イエス・キリストの誕生日
少し話はそれますが、日本でも有名な「クリスマス」の本来の意味はあまり知られていないと思います。
12月25日が「クリスマス」で、その前日12月24日の夕方が「クリスマス・イヴ」です。
イエス・キリストの誕生日が「クリスマス」として祝われています。英語では"Christmas"(キリストのミサ)と書きます。
ただ、これにも誤差があって、当時は太陰暦という月の満ち欠けの周期を基にした暦によって日付を決めていたため、現代の太陽暦(グレゴリオ暦)とは周期が異なります。
太陰暦の1年を現代の1年と比べるとずれが生じますし、聖書の描写からすると「12月末という真冬ではなかった」という説もあります。
さらに、イエスキリストが処刑された後、3日後によみがえったことを祝う「イースター(復活祭)」は、当時の暦を加味して毎年日付が変わります。
このような誤差はあるものの、歴史的に大きな影響を与えているもの事実です。
CE・BCEの意味
さて、話を元の西暦に戻します。
これまで見てきたように、AD・BCはキリスト教の影響によって作られた年代系統です。
つまり、キリスト教徒以外にとっては受け入れがたい年代系統といえます。
このようなことから、年代系統を変更せず、宗教を超えて受け入れやすい
紀元後: CE (Common Era) = 公の時代
紀元前: BCE (Before Common Era) = 公の時代以前
という表記が作られました。
ちなみに、中国語ではそれぞれ
公元 [gōng yuán]
公元前 [gōng yuán qián]
と表記し、この"Common Era"と同義の表記になっています。
普段何気なく使っている言葉ですが、歴史的背景を見てみると、いろいろと深いものがありますね。
最後に、これらをまとめた図を掲載します。
今回もお読みくださり、ありがとうございました。
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